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大阪高等裁判所 平成3年(う)818号 判決 1992年6月30日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人戸田満弘、同土田耕司連名作成の控訴趣意書記載のとおりであり(ただし、控訴趣意第一点ないし第三点は撤回する、同第四点は原判決が刑法上の過失ありとした法的判断を争うものであり、同第五点は被告人に過失がないという事実誤認の主張であると述べた。)、これに対する答弁は、検察官松岡幾男作成の答弁書第四点及び第五点記載のとおりであるから、これを引用する。

一本件審理の経過と争点

1  本件公訴事実は、「被告人甲は、漁船金比羅丸(総トン数2.2トン)を所有し、同船に船長として乗り組み操船等業務に従事するものであるが、昭和六三年一二月二〇日午後七時四五分ころ、同船を操船して、兵庫県飾磨郡家島町家島港内の宮漁船溜りを家島諸島上島漁場に向け出航し、速力約一六ノットで家島港東防波堤灯台を右舷正横に見た地点を通過後、進路を右方(東北東)に変更して航行しようとしたが、当時、夜間で付近海上は暗く、同港内は狭隘で多数の停泊船が存在していた上、港外にも多数の錨泊船が存在しており、錨泊船と港内との間を往来する小型船があったから、適宜減速し、前方はもとより周囲の見張りを厳にして他船を早期発見し転舵、機関後進等の措置を講じて衝突を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、減速せず、進路前方の見張り不十分のまま漫然同速度で航行した過失により、進路前方から無灯火のまま向かって航行してきたAの操船指揮する搭載作業船兼交通船第十八勝丸(長さ5.30メートル)に気付かず、同日午後七時五〇分ころ、右家島町尾崎鼻灯台から真方位約一七七度約五一五メートルの海上において、自船船首を右第十八勝丸右舷中央部付近に衝突させ、もって両船の往来の危険を生じさせるとともに右衝突により、右第十八勝丸に乗船していたD(当四八年)に加療約九〇日間を要する肋骨骨折等の傷害を負わせたものである。」というのである。

2  被告人は、平成元年一二月一五日右公訴事実について、略式請求され、同日罰金一〇万円に処せられたが(前示A(以下「A」という。)及び前示第十八勝丸(以下、特に断らないときは搭載作業船兼交通船第十八勝丸を「第十八勝丸」又は「伝馬船第十八勝丸」という。)の所属する勝丸海運株式会社が同時に略式請求され、Aが罰金一二万円、同会社が罰金六万円に処せられている。)、同月二七日正式裁判の請求の手続きをとった。

3  原審第一回公判において、被告人は、前示金比羅丸(以下「金比羅丸」という。)の速力は、家島港東防波堤(以下「東防波堤」という。)灯台を正横に見た地点を一〇ノットで通過したと思う、第十八勝丸を発見した時点では衝突を回避しようがなかったと述べて、無罪を主張し、弁護人も、被告人同様の内容の意見を述べた上、被告人の注意義務は無灯火船に関してではないなどとして、被告人には過失はなく、無罪であると主張した。

4  原判決は、①本件衝突当時、視界制限状態にあった。②金比羅丸の速力を、東防波堤を正横に見た地点を通過時は約一〇ノット、衝突直前では一一ないし一六ノットであった。③金比羅丸の航跡は、東防波堤灯台の付近で直ちに一六ノットとし、それから七秒後に三〇度右方に転舵したとしているほか、おおむね本件公訴事実に沿った事実を認定し、被告人の過失を認めた。

5  論旨

控訴趣意第四点及び第五点は、要するに、被告人が操舵していた金比羅丸と第十八勝丸との衝突(以下「本件衝突」という。)につき、被告人の操舵に過失があるとしているところ、①海上衝突予防法三条一二項に定める視界制限状態にはなかった。②金比羅丸の速力は、実際は約一〇ノットであった。③金比羅丸の航跡について、原判決の認定は誤りである。④原判決は航法の関係で海上衝突予防法九条、一四条、港則法一五条、一七条の適用あるいは準用があることを看過している。⑤本件に関して、第十八勝丸は無灯火である上、狭い水道を進航する場合の右側通航及び行き会いの場合の右転のルールに違反しているのに対し、金比羅丸には何らのルール違反もないのであるから、被告人に対して信頼の原則が適用されるべきである。⑥原判決は視認距離が三〇メートルであることを前提として、第十八勝丸を認めた時点で、被告人には本件衝突回避可能性があったとしているが、視認距離の認定にも一部誤りがあり、そもそも金比羅丸は一〇ノット、第十八勝丸は六ノットで進行していたのであるから、いかなる手段をもってしても、本件衝突を回避することはできなかった。⑦本件衝突前、第十八勝丸乗員からは、金比羅丸が家島港東防波堤灯台の正横約三〇メートルを通過した時点以前にその灯火を視認できる状況であったのに、原判決はこの事実を認定しなかった。⑧原判決は、被告人が金比羅丸を五ないし六ノットの速力で航行しなかったのを過失としているが、誤りである。以上のとおり、原判決の事実認定や過失判断には誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、破棄を免れない、というのである。

二そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討する。

証拠によると、本件争点に関連して、以下の事実が明らかである。

被告人が、金比羅丸の船長として、一人乗船し、家島港内の宮漁船船溜りを出航し、東防波堤の西側を通過したこと、Aは、砂利採取運搬船第十八勝丸船長であるが、同船を同港防波堤外東方の天神鼻沖にびょう泊させ、機関長B(以下「B」という。)、一等航海士C(以下「C」という。)、一等機関士D(以下「D」という。)と共に、同船に搭載してある伝馬船第十八勝丸に乗り込み、船首で指揮をしながら見張りをし、Cに操舵させて約六ノット(全速力)で同港内に向かったこと、金比羅丸と第十八勝丸とが原判示地点で衝突したこと、その際にDが原判示のとおりの傷害を負ったこと、本件衝突時の状況は両船がほぼ行き会いの状態で航行中、衝突直前第十八勝丸において左方に転舵したため、同船の右舷中央部付近に金比羅丸の船首が衝突したものであること、金比羅丸は、プラスチック製漁船で、総トン数2.2トン、全長10.50メートル、幅2.38メートル、機関室にはディーゼル内外一三五馬力(記録中、海上保安官において六〇馬力とする証拠が少なくなく、検察官の立証も十分ではないが、これは農林規格上のものとみられる。)一基が設置されており、船首から9.44メートルのところに操縦席があり、操舵室前面には二枚、両舷側面に各一枚の透明プラスチック窓があること、なお、衝突当時金比羅丸は、全長約4.80メートル、幅1.56メートル、深さ0.6メートル、機関9.9馬力のプラスチック製漁船を曳航していたこと、第十八勝丸は、木製の和船型で、全長六メートル、最大幅1.95メートル、船体中央部に機関室、船首部と船尾部にそれぞれ甲板があり、機関室にはディーゼルエンジン六馬力一基が設置されているが、灯火の設置は無く、日没から日の出までの間の航行が禁止されていたことの各事実は証拠上明白であり、被告人もこれを争わないところである。

なお、司法警察員海上保安官(以下、司法巡査海上保安官を含めて、特に「海上保安官」という。)作成の昭和六三年一二月二五日付け(<書証番号略>)及び同六四年一月二日付け(<書証番号略>)各実況見分調書によれば、本件衝突地点は、原判示のとおりであるが、これは東防波堤灯台のほぼ北東約一〇〇メートルの海上とされている。また、本件衝突当時、東防波堤の外側(北東)でその灯台付近に、砂利運搬船(石船又はガット船とも呼ばれている。)三隻程度が船首を表に向けて停泊していたことが証拠上窺える。そして、東防波堤横を通って外に出る金比羅丸の衝突地点までの進路や同船に対する第十八勝丸からの見通し状況は、被告人の過失の有無を判定する上で看過できないところ、それらは右停泊船の停泊位置や大きさ等にも関係しているといえる。まず、そのうち、停泊位置について、海上保安官作成の平成元年三月一八日付け実況見分調書(<書証番号略>)添付の図面では、三隻のうち一、二隻が東防波堤の突端からはみ出して防波堤の入口を一部塞ぐ形とされている。また、海上保安官作成の昭和六三年一二月二九日付け衝突状況調査報告書(<書証番号略>)添付の図面では、三隻のうち二隻がはみ出しているように見受けられる。しかし、いずれも、その根拠は明確でない上、そもそもこの点(船体の大きさを含む)の究明を目的とした実況見分もなされた形跡がない。防波堤入口を塞ぐ停船など違法とみられる余地があるのに、海上保安官において、本件衝突事故発生当夜、問題の停泊船の関係者を取り調べるなどして、その正確な隻数と停船位置を明らかにすることは決して困難でなかったと思われるにもかかわらず、こうした関係の証拠も提出されていない。なお、この点に関する関係者の供述も一致していない。Aは、灯台を中心に三隻くらいいたから、一番北側の船が灯台から船一幅くらいはみ出していた旨原審公判で証言している。Bの供述には特に触れる部分がない。Cの海上保安官に対する供述調書には「……その一番西で丁度灯台の下に係留されていた砂利船の……」との記載があり、停泊船五隻のうち一隻半くらいがはみ出していると読み取れる図面が添付されている。それなのに、Cは原審公判で、裁判官の「停泊船は東防波堤の灯台から西のほうへ出っ張っていましたか。」との問いに対して、「いいえ、出っ張っているとは思いません。」と、右供述調書の記載とは異なる内容の証言をし、はみ出しを否定している。他方、被告人は、原審公判で、三隻のうち東防波堤の一番突端寄りの一隻の左舷と、その防波堤突端(外側)が同じくらいであったとして、はみ出しを否定している。被告人の海上保安官に対する昭和六三年一二月二一日付け供述調書添付の図面もこれと同旨で、はみ出しの事実は窺えない。そうすると、はみ出しを否定する被告人の供述を否定し去るだけの立証があるとはいえない。

また、停泊船の大きさについても、海上保安官作成のものでこれを明らかにする証拠は提出されていない。原審公判で、海上保安官の大西昭典が「長さは五〇メートル前後で幅は一〇乃至一二メートル位」、また、Aは「長さは五〇メートル、幅一〇メートル位ですか。」とそれぞれ証言する程度で、東防波堤岸壁に係留されていたのか、離れて停泊していたのか、その際の右岸壁との間隔なども一切明らかにされていない。

三そこで進んで、本件において争点となっている、(一)本件衝突当時の現場の明るさと視認距離等、(二)金比羅丸の衝突直前の速力(以下、ここでは単に、「速力」ということがある。)、(三)両船の航行状況と衝突回避の可否について検討する。

(一)  本件衝突当時の現場の明るさと視認距離等

(1)  本件衝突当時は、天候は晴れで、月齢は一一・二日、潮流西方向0.2ノット程度であった。明るさについての供述は、関係者間で一致していない。すなわち、Aは、「月明かりと他の作業灯でかなり明るかったので前は十分見えているつもりでした。」(原審第四回公判)、Cは、「びょう泊船の近くを通過すると灯火の影響を受け伝馬船の影が分かりますが、少し離れますと暗くなり灯火をつけないと見えません。」(海上保安官に対する供述調書)、Bは、「夜間ではありましたが、月明かりがありましたし、途中に投錨している船の作業灯などでまっ暗と言う訳ではありませんでした。」(海上保安官に対する供述調書)、また、Dは、「母船を離れた時辺りは真暗でしたが、港外には停泊船がたくさんあり、その船は作業灯を照らしていましたから海上はけっこう明るく感じました。」(海上保安官に対する供述調書)とそれぞれ述べている。したがって、一概にこうと断定することはできないが、全くの闇夜ではなく、しかもびょう泊船の灯火等もあってある程度の明るさがあったと思われる。しかし、被告人から無灯火の伝馬船を容易に視認できるほどの明るさがあったとまでは認められない。

(2)  第十八勝丸について、日没から日の出までの間の航行が禁止され、灯火の設備も全くなかったことは前示のとおりであるところ、関係証拠によれば、本件衝突の際には、同船内に単一型乾電池四個内蔵の懐中電灯一個が置かれていて、Aは衝突寸前に点灯したが間に合わなかった(事故後、スイッチをいれたところ点灯したから、故障していなかったことは明らかである。)旨証言している。Dも船長(A)が照らしていたと証言しているが(原審第五回公判)、DやBの供述記載(前掲各供述調書)に照らしても、第十八勝丸はAが点灯させるとほとんど同時くらいに衝突したと認められ、したがって、第十八勝丸は全く無灯火と同一の状態であったといえる。

(3)  なお、原判決は本件衝突時において「視界制限の状態」にあったかのような趣旨の判示をしている。もし、これが海上衝突予防法一九条にいう「視界制限状態」をいうのであれば、訴因にもなく、両船のあるべき航法にも影響するものであるから、訴因逸脱認定の疑いが濃い。そもそも、右にいう「視界制限状態」とは同法三条一二項に定義されているところであって、単なる夜間ひいては暗黒は含まれないと解すべきであり、本件衝突当時こうした視界制限状態になかったことは明らかである。本件で視認距離が十分でなかったのは、単に夜間というだけの原因によるものであり、それも第十八勝丸が灯火を表示しておれば解消されるものであった。このような状況まで「視界制限状態」とするのは、所論指摘のとおり誤りというほかないが、そうでないとしたら、はなはだ不適切な表現といえる。

(4)  本件衝突当時の視認距離をみると、前出実況見分調書(<書証番号略>)によると、実況見分時(昭和六三年一二月二九日午後七時四〇分から午後八時一〇分までの間)において、第十八勝丸の船首と金比羅丸の船首との間が約二二メートルに接近して初めて相手を視認できたという。実況見分の方法は第十八勝丸を衝突位置の北約二五〇メートルに占位させ、これに金比羅丸を一〇〇メートル離れた家島港西防波堤の方向から徐々に近づけていったというのである。しかし、本件衝突時は、両船の双方が航走しているので状況が異なっている。たとえ本件衝突時が実況見分時よりもいささか明るいとの供述(海上保安官伊東雅樹の原審第三回公判証言)があるにしても、Cは大差ないと証言し(同第八回公判証言)、被告人は、視認できたといっても「目を凝らして見ると黒い船らしいものがぼんやり見えるという程度です。」と供述しており(原審六回公判)、衝突時の視界距離が、航走中の船からのものであることにかんがみると、その視認距離は実況見分の結果よりも更に短くなることはあっても、長くなるものではないといえる。

(二)  金比羅丸の速力について

この点に関する第十八勝丸の関係者の供述をみると、Cが「伝馬船以上で……相当早い速力」(前掲供述調書)、「十二、三ノットと思います。」(原審第一八回公判)、Aが「物凄く速く感じました。」・「一〇ノット位と思いました。」(原審第四回公判)とそれぞれ供述している程度で、原判決認定の一六ノットを認めさせるものはない。他方、被告人の供述をみると、本件衝突翌日の昭和六三年一二月二一日付け海上保安官に対する供述調書には、「灯台の手前約五〇メートル付近で機関回転数を毎分二〇〇〇回転とし、灯台を通り過ぎてから二四〇〇回転とした。二四〇〇回転で伝馬船を曳船すれば約一四〜一五ノットになると思う。」旨のほか(以下、回転数は全て毎分の回転数である。)、「灯台を通り過ぎてから北東方向にしばらく走らせたところで進路を東へ変える前に衝突した。」旨の記載がある。同月二三日実施の実況見分の結果を記載した前出実況見分調書(<書証番号略>)には、立ち会った被告人の指示説明として、灯台の正横を目測約三〇メートルで通過する際、ここで回転数を二〇〇〇から二四〇〇にした旨の記載がある。また、海上保安官に対する平成元年一月一一日付け供述調書には、灯台を過ぎてから北東方向にしばらく走らせたと供述したのは思い違いで、灯台を過ぎてから右約三〇度方向へ進路を向けて走らせ、約五秒ほど後に衝突した旨の記載がある。しかし、以上には原判決の認定する一六ノットを直接認めさせるものはない。回転数を指示する実況見分でも、速力自体に関する説明の記載は見受けられない(<書証番号略>)。ところが、検察官に対する平成元年一二月七日付け供述調書には、「東防波堤灯台が右舷真横に見える地点辺りでは機関回転数は二四〇〇回転、速力約一六ノットに上げて航行し、それから約七秒後現進路より約三〇度ほぼ東北方向に変進して進行してきた際に正面から向かって航行してきた……に衝突してしまいました。」との記載がある。原判決認定の一六ノットに直接沿う唯一の供述証拠ともいえる。そして、これは昭和六三年一二月二三日実施の実況見分における金比羅丸の速力実験に関連しているとみられ、このことは、被告人の原審公判供述(第六、八回)や右検察官調書の記載自体からも窮知できる。なお、この実験の結果、金比羅丸については二四〇〇回転では16.24ノットの速力であったとされているようである(海上保安官作成の同月二六日付け実況見分調書(<書証番号略>))。

これに対して、被告人は、原審第六回公判において、「東防波堤灯台を右舷正横三〇メートルに見た後、一〇ノットで一四秒くらい走り、三〇度右転して三秒くらいして機関の回転数をそれまでの二〇〇〇回転から二四〇〇回転に上げ、それから二秒くらいして衝突したものであり、右の実験結果は、約一キロメートルの助走距離をおいて測定したものである。また、機関回転数を二四〇〇回転に上げても、直ちに速度が上がるものではなく、一六ノットになるのは実際には三分くらいかかる」旨供述している。この被告人の弁解は、特に機関の回転数を二四〇〇回転に上げた地点に関して、捜査段階の供述と異なるものである。ところで、速力実験に関する前出実況見分調書(<書証番号略>)では、助走の有無はもとより、回転数の変化に関する記載もないので、本件速力の立証にとって必ずしも適切であるとはいえない。そうすると、この実験結果を根拠とすると思われる被告人の検察官に対する供述調書の記載にも信用性に疑いを入れる余地があるといえる。また、機関の回転数と速力の関係について、原審証人佐々木幸康は、二〇〇〇回転から二四〇〇回転に上げて一六ノットにするのには二分くらいかかるとして、被告人の前示弁解に沿う証言をしている。検察官は、答弁書で、佐々木証言は二〇〇トン程度以上の一般船舶についてのものである旨主張しているが、佐々木証人は、本件事案を前提にして、かつ、海上保安官作成の平成元年一一月二六日付け実況見分調書(<書証番号略>)で金比羅丸の一八〇〇回転時における平均速力が7.7ノットとされていることも根拠に加えて証言しているのであって、佐々木証言を否定するだけの立証はみられない。また、検察官は、ヤマハ発動機株式会社マリン事業本部取締役本部長堀内浩太郎作成の報告書における加速性能の実験結果を援用する。確かに、実験に使われた類似船と金比羅丸とは諸元において類似する点が見受けられるが、同報告書における実験は静止よりフルスロットルで発進した場合の数値のみが記載されていて、機関回転数その他の条件との関係についての説明や記載が認められない。金比羅丸が曳船していたことも実験に際し考慮されているようには思われない。したがって、その証明力には自ずと限度があるといえる。さらに、海上保安官による前示実験(<書証番号略>)も、一八〇〇回転までの回転数と平均速力を示すに止まり、本件で問題の一つとみられる二〇〇〇回転の場合についてはみられないばかりか、機関回転数と加速性能との関係も明らかにされていない。

金比羅丸の機関が二四〇〇回転となった地点については、前示のように、被告人の供述も一貫していない。そのなかで、前出実況見分調書(<書証番号略>)に被告人の指示説明として、東防波堤灯台の正横を目測三〇メートルで通過する際、ここで回転数を二〇〇〇から二四〇〇にしたとする旨の記載は、現場に即してのものだけに注目に値する。しかし、被告人は、原審公判でこの事実を否定するかのようである(第六回公判)。また、前記認定のように、東防波堤の外側に停泊船があったことにかんがみると、停泊船の横を通り抜けたとき、初めて進路右方への視界が開かれ、加速の処置に出ることも十分ありうることであって、停泊船の長さなどを考えると、被告人が原審公判で、東防波堤灯台を右舷正横三〇メートルに見た後、一〇ノットで一四秒くらい走った(距離にして約七二メートル)、そして、右転して二四〇〇回転に回転数を上げたとする弁解も、あながち根拠がないともいえない。

以上の次第であるから、本件立証の程度では、本件衝突時における金比羅丸の速力を一六ノットとするだけの確証があるとはいえず、被告人の原審公判供述に前出第十八勝丸関係者の供述、殊に、Aが一〇ノットくらいと証言していることを併せ考えると、一〇ノットくらいと認めるのが相当であり、その他金比羅丸の衝突までの進路、時間についても被告人の原審公判供述を信用するのほかはない。原審証人濱野俊輔は、二〇ないし三〇ノットと証言しているが(第三回公判)、これは伝聞にすぎないだけでなく、被告人に責任を押し付けようとしている様子が窺われ、到底信用することができない。

(三)  金比羅丸と第十八勝丸の両船の航行状況と衝突回避の可否

(1)  まず、金比羅丸について、被告人は、前示のとおり原審公判で、宮漁船船溜りから出航し、東防波堤灯台を右舷正横約三〇メートルに見て一〇ノットの速さで約一四秒東北に航走して約三〇度右に曲がり、衝突に至ったと述べており、この供述を前提とせざるをえないこと、前記説示のとおりである。そして、被告人によれば、法定灯火を正しく表示していたというのであり、Aらの金比羅丸の目撃状況に照らしても、これを疑うべき点はない。また、被告人の進路前方に対する見張りが不十分であったために、第十八勝丸の発見が遅れた形跡も認められない。

(2)  他方、第十八勝丸は、金比羅丸と行き会いの状況で航行し、衝突直前左に転舵したが間に合わず、その直後衝突していることが認められる。

(3)  そこで、以上認定の事実関係のもとで、すなわち本件衝突当時の両船からの視認距離は船首間約二二メートルであることを前提として、約六ノットで航走していた第十八勝丸に対し、行き会い状態の上、約一〇ノット(ただし、衝突前約二秒くらいの機関回転数約二四〇〇)で航走していた金比羅丸において、衝突回避が可能であったか、金比羅丸においてどの程度減速しておれば衝突が回避できたかの点について検討する。

まず、前出状況見分調書(<書証番号略>)によれば、金比羅丸を使った実験が昭和六三年一二月二三日実施されているところ、曳船はなく、被告人のほか海上保安官三名が金比羅丸に乗り組んでのものであって、実験条件として正確とはいえず、実際の速力との関係も明らかでないが、それはそれとして、機関回転数二四〇〇回転による航走では、二二メートル内で停止することは全く不可能である。

次に、前出実況見分調書(<書証番号略>)及びこれを作成した海上保安官大西昭典の原審公判証言によると、同様の実験が同月二四日実施されているところ、実験用代替曳船の重量に差がないとはいえず、また、金比羅丸には被告人のほか海上保安官二名が乗り組んでいることが認められるのであって、本件衝突当時と条件面で同一であったかは疑わしい。また、回転数と速力の実験は一部なされているが、実際の速力と停止の距離、時間の関係は実験の直接の対象とされていないようである。それはそれとして、実験の結果では、金比羅丸が機関二四〇〇回転の場合の急停止時間は八秒、停止距離は28.9メートルであるから、その場合は衝突の回避はできない。その他の場合の停止時間・距離等は、機関回転数五〇〇回転で一回目三秒、二回目3.5秒で約2.9メートル、一二〇〇回転一回目五秒、二回目六秒で約10.1メートルとなっている。また、各回転数の平均速力は、五〇〇回転で2.0ノット、一二〇〇回転で5.0ノット、一八〇〇回転で7.8ノットである。これらによれば、本件の金比羅丸の速力、機関回転数では、第十八勝丸を視認してからの急停止による衝突回避が不可能であることは明らかである。なお、本件衝突の回避は、第十八勝丸の側で急停止の措置を講ずることが、まず前提となる。しかし、第十八勝丸に関する速力ないし回転数ひいては停止距離の実験は立証されていない。金比羅丸に関する実験では、速力五ノットのときの停止距離が10.1メートルであり、このことから推論すると、速力六ノットの第十八勝丸が急停止の措置を講じたとしても、視認距離二二メートルの半分程度が停止に要する距離として必要になるものといわなければならない。こうした第十八勝丸側の事情や、機関回転数と平均速力に関する前記実験結果のほか、いわゆる空走距離については実験時と事故時で差異がないとはいえないことなどを考え合わせると、第十八勝丸が急停止の措置を講じたとしても、金比羅丸の速力が約五ノットであれば衝突をぎりぎり避けることができると思われるが、衝突する場合も考えられ、金比羅丸において衝突を回避するためには、速力を四ノット程度以下にしなければならないといえる。

なお、転舵による回避の可能性については、訴因にないところである上、前示実験(<書証番号略>)から窺われる金比羅丸の旋回性能からみて、回避の可能性があったとは認められない。第十八勝丸の旋回性能については全く立証がない。

四過失の有無

1  前記認定のとおり、本件において第十八勝丸は夜間航行が禁止されていたにもかかわらず、灯火の設備も表示もないまま航行していたものである。そして、本件衝突は、前示のように家島港の入口外側付近海域で発生したものであるところ、関係証拠によれば、同港入口にある東防波堤と西防波堤の間は距離にして約一三〇メートルであることが認められる。ところで、所論は、第十八勝丸の航法については、海上衝突予防法九条(狭い水道等における特別の航法)、一四条(行き会い状態にある場合の航法)の適用のほか、港則法一五条(出船優先)、一七条(右小回り、左大回り)の準用があるのに、これらに違反していると主張する。そのうち、港則法については、その適用対象港が政令で明示されており、それに含まれていない家島港について、同法が直ちに準用されると解するのは相当でない。

しかし、海上衝突予防法九条一項にいう水道には、その両側が本件家島港入口のように構築物である防波堤からなる人工のもので、長さのない海水域も含まれると解するのが相当である。また、その間は前示のようにわずか約一三〇メートルしかないところ、検察官は、本件両船は同条六項にいう「長さ二〇メートル未満の動力船」であり、両船の操縦性能から見て可航幅一三〇メートルの海水域に両船が同時に進入したところで特段危険な状態が発生するおそれはないから、「狭い水道」に該当しないと主張する。しかし、水道の広狭が同条六項を根拠に船の大小や操縦性能によって相対的に決定されることについては、同条六項が根拠規定になるとは考えられず、こうした見解を家島港のようにフェリーその他各種船舶の航行出入りすることの証拠上明らかな水道に当てはめることは、船舶ごとに広狭についての判断の相違を生じ、ひいては衝突を招くことにもなりかねない。同条一項を両船のような小型船に適用することによって生ずる不都合は、同条項所定の「安全であり、かつ、実行に適する限り」の要件の適用によって解決すれば足りるものと思われる。家島港入口の東西両防波堤間は、その幅が約一三〇メートルにすぎないことや、フェリーその他各種の船舶の航行出入りすることからみて、海上衝突予防法九条一項にいう「狭い水道」に当たることは明らかといえる。

もっとも、本件衝突地点は東防波堤灯台からほぼ北東約一〇〇メートルの海域とみられ、「狭い水道」自体で発生したものではない。しかし、前記認定の事実関係からみて、第十八勝丸においては、家島港に入るときは西防波堤の側端に寄って航行すべきであり、それが安全であり、実行に適するとみられるところ、そのためにはあらかじめ進路を前示尾崎鼻側寄りに変更しておくべきであって、それにもかかわらず、停泊中の砂利運搬船の船首の近くを東防波堤の突端に接近する進路で航行したことは、「狭い水道」である東西防波堤間の左側寄りを航行しようとしたもので、これは明らかに海上衝突予防法所定の航法に違反したものといわざるをえない(第十八勝丸が衝突直前に左転したことは海上衝突予防法一四条抵触の余地があるが、緊急時のことであり、論外とする。)。

そこで、本件において、このように無灯火で(灯火表示船の接近を認めながら、携帯懐中電灯の灯火により自船の存在を示さないものを含む。)、しかも航法にも違反する航行船舶のあることまで予測して、一〇ノットより更に速力を減じ、いわば手探りに近い状態で航行しなければならない注意義務が被告人の金比羅丸側に要求されていたかどうか検討されなければならない。

2  原判決は、「当時、夜間で付近海上は暗く、同港内は狭隘で多数の停泊船が存在していたうえ、港外にも多数の錨泊船が存在し、錨泊船と港内との間を往来する小型船が存在していることが予測された」ことと、視認距離が三〇メートルの状況下にあったことを理由に、海上衝突予防法六条にいう「安全な速力」とは、本件では五ノットないし六ノットの速力であると認定しており、検察官もこれを支持するもののようである。

しかし、前示認定のように、両船船首間の視認距離は約二二メートルであって、三〇メートルとする原判決の認定は、もしこれが両船船首間の距離を示すものであれば、誤りである。また、海上衝突予防法六条が「安全の速力」を決めるに当たって、夜間とはいえ、常に航法違反の、これを論外としても、無灯火の船があることまで考慮することを義務づけているとは思われない。確かに、関係証拠によれば、家島港の内外に停泊船やびょう泊船があり、港外のびょう泊船と港内との間を往来する小型船のあることは証拠上明らかである。しかし、その程度に関する立証は、それほど具体的ではない。むしろ、被告人の金比羅丸の進路前方におけるびょう泊船等の状況について、被告人は、砂利運搬船石船等をかわして、約七〇メートル進むと右方への見通しが良くなり、三〇度右転したときに前方にびょう泊している他船の灯火等は見えなかったと述べている(原審第六回公判)。Aは、第十八勝丸の回りには金比羅丸以外は見当たらなかったと述べ、懐中電燈をつけなかったのは、近くを走る船がなかったからであるとも述べている(原審第四回公判)。同人が懐中電灯を点灯しない理由については、CもAは、近づいて来る船があれば点灯するのが常であったと述べており(海上保安官に対する供述調書)、これらの供述からすると、金比羅丸の進路前方海域には第十八勝丸の外に危険を生じるような船はいなかったと認められる。

もっとも、前出実況見分調書(<書証番号略>)によると、昭和六三年一二月二九日午後七時四〇分から午後八時一〇分までの間の家島港防波堤付近におけるびょう泊船の状況が窺えるが、これは年末という特別の時期のことであり、また、海上保安官作成の平成二年三月二日付けの報告書(<書証番号略>)によると、平成元年四月四日家島港において夜間の航行が禁止されている伝馬船の集中取締りをしたところ、七隻の伝馬船が検挙されたことが認められるが、携帯の懐中電灯まで点灯していなかったかは明らかではなく、いずれにしても、本件衝突直前の付近海域の状況についての前示認定を左右するとまではいえない。また、被告人は、無灯火の交通船のあることを否定していないものの、無灯火船との衝突事故は知らないと供述しているのであって(原審第六回公判)、本件において、前記「安全な速力」を決定するにつき考慮すべき要素のなかに、無灯火の航法違反船まで含ませるだけの特段の事情があるとまではいえない。すなわち、右に「安全な速力」とは、本件においては灯火表示船を認めた場合、その船舶との衝突を回避できる程度の速力と解するのが相当である。

3  ちなみに、海上保安官の大西昭典は、原審第四回公判で、巡視船が港外に出る場合は濃霧状態でも五ノットであり、視界の良いときは七ないし八ノットまで出して走っていると証言している(夜間も対象内と思われる。)。家島漁業協同組合の組合長中村庄助は、海上保安署では家島港防波堤内側で一二ノット以内の徐行を指導していることを認めている(原審第五回公判)。また、家島汽船株式会社の運航管理規程(<書証番号略>)によれば、本件当時、家島港内で13.1ノット以下、港外で15.2ノットまで速力を出してもよい基準を設定していることが認められる。最短停止距離に関する前示認定に照らせば、これらが無灯火船を予測し、これを前提とした速力とは思われない。したがって、金比羅丸の約一〇ノットがそれほど高速で、これを減ずべき必要があるとは思われない。

以上、要するに、本件において金比羅丸がとるべき「安全な速力」とは、灯火表示船を認めた場合、その船舶との衝突を回避できる程度の速力をいうものと解するのが相当であり、当時の速力である一〇ノットがその程度を超えているとするだけの事情は認められない。

4  なお、本件において、訴因にはないことであるが、金比羅丸が東防波堤の外側に停泊していた砂利運搬船の陰から突然現れて右転して来たため、第十八勝丸の側で海中電灯を点灯表示するだけの時間的余裕のなかったことが、衝突事故発生の遠因となっているのではないかとの疑いが持たれるので検討しておく。

まず、これは、金比羅丸の右転の時期や同船と砂利運搬船との位置関係のかかわる問題といえるが、砂利運搬船の位置関係についての十分な立証のないことは前示のとおりであり、被告人の供述も砂利運搬船の位置との関係で右転の時期を供述していない。他法、第十八勝丸の側からの見通しをみると、先ず、Dは、よそ見をしていて、衝突直前まで金比羅丸に気付いていないのであるから除外するとして(海上保安官に対する供述調書)、Cは、「伝馬船の進路前方に見えていた灯台下に係留された船の船首右側の陰から緑色の灯火がでてきたのを見つけました。緑色の灯火はすぐ緑色と赤色の両方の灯火となりました。」(海上保安官に対する供述調書)と、Bは、「灯台から一〇〇メートル位の所に来た時に伝馬船がとり舵をとるのを感じました。それと同時位に前の方から船の灯りが近づいてくるのが見えました。私の見た明かりは、青灯と赤灯で、これは船の右舷灯と左舷灯です。」(海上保安官に対する供述調書)と、Aも証人として、金比羅丸の出現を衝突前およそ五秒くらいに金比羅丸の青色灯火を見た(原審第四回公判)と、それぞれ述べている。ところが、Cは、原審公判において、金比羅丸をもっと早い段階、すなわち東防波堤の内側で認め、向こうから来るのは分かっていたというのであり、前示各供述とは異なるが、同人ら第十八勝丸側に不利な証言であるだけにその信用性は大きいといわなければならない。そうすると、第十八勝丸の側で前方ひいては防波堤内の状況に対する見張りを十分にしておれば、早めに金比羅丸の灯火を認めることができたはずであり、また、その時点で直ちに衝突を避けるべく手段を講じておれば、金比羅丸側においても対応した措置が可能であったと考えられ、本件衝突は容易に避けられたと思われる。

五以上の諸点を総合すると、被告人の本件過失を認めることはできない。すなわち、まず、本件公訴事実では、被告人の過失は、一六ノットで航行した速力違反と見張り不十分であるとし、原判決では、一一ないし一六ノットで見張り不十分のまま航行した点に過失を認定しているが、速力については前示のとおり、一〇ノットくらいであったと認めるのが相当であるから、原判決は、まず、速力の点について事実認定に誤りがあったというべきである。

次に、本件衝突時における両船間の視認距離は、船首間約二二メートルであって、これを約三〇メートルとした原判決の認定も、それが両船首間の距離を示すものであれば、誤りである。したがって、両船首間の距離が約二二メートルに接近するまでの間、第十八勝丸の視認は困難であったというべきであるから、原判決の指摘するような被告人の見張りが不十分であったということはできない。

また、速力の点について、天候のよい本件当日の金比羅丸の航行速度をもって責めるべき高速だということはできない。前示法律の定めた航法に違反し、無灯火の伝馬船が、しかも全速力で向かって来ることまで予測して、極端に減速・徐行する義務はないというべきである。かえって、こうした減速は港口付近の船舶渋滞を招くことになり、別の危険をもたらすことになりかねない。

六以上のとおり、被告人には公訴事実にある速力違反及び見張り不十分を内容とする注意義務違反は認められない。したがって、本件公訴事実を認めた原判決の事実認定は誤りであり、ひいては過失認定に関する法律の適用を誤ったものであって、これらの誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

そして、本件捜査・審理の経過、事案の性質にかんがみ、事性を原審に差し戻しても、本件の結論を左右するほどの立証が可能であるとは思われない。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、さらに次のとおり判決する。

前示公訴事実については、前述の理由により、結局、犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の判決をすることにする。

(裁判長裁判官小瀬保郎 裁判官髙橋通延 裁判官萩原昌三郎)

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